COLUMN

~宮地陽子のGO FOR 2020~海外日本人選手奮闘記

~宮地陽子のGO FOR 2020~海外日本人選手奮闘記

鍵冨太雅 文武両道で日本バスケット界に貢献したい

日本だけでなく世界のバスケットボールを長年見続けてきたライター宮地陽子さんの海外日本人選手奮闘記。第7回は「コート上で活躍した選手の実力を認めたら、素直に口に出して褒めるっていうアメリカの文化は素晴らしい」と語る鍵冨太雅選手のインタビューと共にお送りいたします。(文・写真 宮地陽子)

 去年3月、鍵冨太雅はスラムダンク奨学生として、米コネチカット州のプレップスクール(大学進学準備校)、セントトーマスモア(以下STM)での留学生活を始めた。
 小学校時代を父の駐在にともないニューヨークで過ごした鍵冨にとって、アメリカは言ってみれば第二の故郷だ。何しろ、試合後のおにぎりは苦手で、ピザのほうがいいというくらいにはアメリカナイズされている。
 そして、アメリカの大学でバスケットボールをしたいという思いは、その頃からの夢だった。

 高校でアメリカに戻ることも考えたが、アメリカ挑戦の前に日本一という目標があったことと、今年4月に急逝した田中國明総監督からの熱心な誘いもあり、悩んだ末に、結局、福岡のバスケットボール名門校、福岡大学附属大濠高校に進学した。名門校でキャプテンを務め、世代別日本代表にも選出され、満を持して夢に挑戦するために、漫画家井上雄彦氏が創設したスラムダンク奨学金に応募し、アメリカの大学進学準備のための14カ月間のプレップスクールでの留学生活を勝ち取った。

すでに英語は流暢に話すことができて、コミュニケーションにも問題はない。
 バスケットボールでも、ニューヨークに住んでいたときに、ハーレムにある強豪AAUチーム(年代別クラブチーム)、リバーサイド・ホークスに所属し、全米大会に出たこともあった。
 歴代のスラムダンク奨学生のなかで、最も準備ができた状態での留学だった。
 もっとも、そんな彼でも、シーズン開幕直後にはアメリカのバスケットボールの洗礼を受けることになった。
 当時スターターとして起用されていた鍵冨は、相手チームの選手がディフェンスで足元にぐいっと入ってきた勢いに圧倒され、思わず身体も気持ちも引いてしまったのだという。
 相手は全米でもトップクラスの強豪校で、STMより早くからシーズンを始めていて準備万端で来られたということもあった。
 この試合はいくつかのプレップスクールが集まったショーケースの大会で、100人近い大学コーチたちが集まっていた独特の場だったということもあった。その雰囲気におされた彼は、シュートを決められず、何本もターンオーバーをして、自信を失ってしまったのだ。
「今までやってきたことを疑ったりして、自信をなくし、自分を信じられないときがあった」と鍵冨は振り返る。
 そんな時にヘッドコーチのジェリー・クインは「大丈夫だ。できるから心配するな」と声をかけてくれた。
「あのときの彼は不安そうだった。でも、不安になるのは悪いことではない。それはうまくやりたいと思っているということだからね」とクインHCは言う。
 そんな前向きなアドバイスに励まされ、鍵冨も慣れるまで待つのではなく、自ら課題に向き合った。

 「最初にコーチに言われたのは、シュートを速くしろということ。そのために朝6時に起きて、まだ暗い中、寮から歩いて体育館まで行き、ひたすらシューティングをやった」と鍵冨。
 シュートが得意なチームメイトといっしょに練習し、彼のシュートの真似をしながら、ブロックされないようなアーチの高さや速いリリースを意識して練習した。
 もうひとつは身体の強さ。
 アメリカ人選手を相手にしても当たり負けしないように、食事やトレーニングで体重を増やす努力も続けた。
 そんな鍵冨を、クインHCは「知的な選手。どうプレーしたらいいのかの理解度が高い」と評価する。
「チームで一番のディフェンダーだ。コート全体をよく見ていて、相手の動きをうまく予知している。大学であと15ポンド筋肉をつけたら、すごくいいディフェンダーになると思う。オフェンスでは試合の流れを理解し、色々なことを少しずつできて、自滅することがない。チームにとって欠かせない接着剤的な存在だ」

 クインHCが何よりも評価するのが、努力家なところ。自ら朝練やウェイトトレーニングを続けたように、シーズンを通して手を抜くことなく努力した結果、「シーズンを通してチームで最も成長した選手だった」と称賛する。その努力とチームと学校への貢献が認められて、卒業式では最優秀学生アスリート賞とコーチアワードを受賞した。
 シーズン中には嬉しい再会もあった。
 リバーサイド・ホークスでチームメイトだった選手が2人、同カンファレンスの対戦相手にいたのだ。1人はブリュースター・アカデミーのアイザイア・ムーシウス(今秋からウェイクフォレスト大に進学)、もう1人はノースフィールド・マウント・ハーモンのデイビス・フランクス(今秋からブラウン大に進学)。
「ニューヨーク時代のチームメイトと対戦することができて、懐かしいというか、楽しい」と、7年ぶりの思いがけない再会を喜んだ。
 リバーサイド・ホークスでもSTMでも、アジア人の選手は自分ひとり。アジア人はバスケットボールがうまくないという偏見を感じることは当時も今もあるという。
「世間一般的に見たらアジア人ってうまくないじゃないですか。だから、リバーサイド・ホークスのときは、1対1で勝ってアピールしても最初は信用してもらえなかった。そういう苦労はありました。

 今も、試合に出たときに、自分がマークしている相手のエースからアイソレーション攻撃を仕掛けられたりします。でも、自分ではディフェンスが得意だと思っているんで、そうやって来てくれたらラッキーだと思っていて、『来るんだったら来いよ』みたいな感じで思っています。舐められるから、試合前のアップでダンクしたり、『こいつ、もしかしたらうまいんじゃないか』ぐらい思わせるようにはしています」と笑う。
 体格やパワーの差などに苦労することはあっても、またアメリカに戻り、バスケットボールをできる充実感は毎日感じていた。
「バスケしているときが楽しいですね。アメリカに来てやったことは全然間違っていなかったなってすごく思うときがあって。
 試合でいいプレーをしたときに、観客やベンチが盛り上がったり、試合が終わった後に次の対戦相手の試合の観戦をしていると、いろんな人から『グッド・ジョブ(よかったよ)』と言われたり、他のチームの選手の親とかからも『君、いいプレーするね』とか言われたり。
 日本では、そうやって話しかけられたりという経験がなかったけれど、アメリカは自分のチームの選手でも相手のチームの選手でも、うまいと思ったら『君、いいプレーするね』って言ってくれます。コート上で活躍した選手の実力を認めたら、素直に口に出して褒めるっていうアメリカの文化はすばらしいなって思う。そういうところが、こっちでのバスケットの楽しいところですね」
 5月半ば、14カ月のスラムダンク奨学生としての留学を終え、一時帰国する前に鍵冨は秋からの進学先をメイン州にあるボウドウィン大に決めた。NCAAディビジョンⅢ(以下D3)の大学だ。
 決めるまでにだいぶ迷った。子供の頃から夢見ていたのはNCAAディビジョンⅠ(以下D1)の大学でプレーすることだった。
 しかし、D1の大学のバスケットボール・チームからは奨学金のオファーを得ることができなかった。
 一般入試を受け、D1のホーリークロス大やボストン大にも合格、そこでウォークオン(奨学金なし)枠でプレーすることも検討した。ただ、奨学金をもらっている選手が優先されるため、ウォークオンだと試合にはほとんど出られない可能性があることも覚悟しなくてはいけない。その場合は、D1のチームでバスケットボールを学び、日本に還元するというのが目的になる。
 一方、ボウドウィン大はD3だけにスポーツでの知名度は高くないものの、D3の中ではバスケットボールも強豪カンファレンスに所属し、コーチからも熱心に勧誘してもらっていた。
「大学バスケは4年間しかないということも考えて、苦渋の選択ながら1年生から主力として活躍できるチャンスがあるボウドウィンに決めました」
 鍵冨はツイッターでそう、選択の理由を説明している。

 どちらの選択をした場合でもバスケットボールと共に重要視していたのが学業面だった。この先、バスケットボール選手としての引退がいつ訪れるかはまだわからないが、その後のキャリアのためにも、学業面でも自分の求めているレベルであることは大事だった。
 その点、ボウドウィンは学業面でも全米トップレベルにあり、目指していた文武両道を貫くことができるのも魅力だった。
 鍵冨がスラムダンク奨学生として再びアメリカに戻ってきた一番の理由は、挑戦したかったからだ。実際に14カ月を過ごしてみて、毎日、挑んでいるという実感があった。
「自分がどこまでいけるかに挑戦しています。小さい頃にアメリカで育ち、アメリカの大学に憧れて、その夢、目標に対する挑戦ですね」
 もちろん、その挑戦は14カ月で終わったわけではない。8月からは大学という次の舞台に移り、さらなる挑戦が続く。
 進学先報告のメッセージで、鍵冨はこう書いていた。
「これからの大学4年間でも文武両道を極め、活躍している姿を見せることでアメリカの大学を目指そうとする日本人に良い影響を与えられるように、そして日本バスケ界の発展に貢献出来るように頑張りたいと思います」